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 俳句の壺エッセイ
 第1回 私とネット句会
(2021年2月掲載)

 
満田三椒(秋)
 
過去:和歌山県紀の川市という片田舎に住んでいる私が俳句を続けてこられたのもネットのお陰かもしれない。初めてネットを通じて句会を開始したのは、1998年のパソコン句会。当時、現在「秋」の主宰であられる佐怒賀正美氏がアサヒネット電子フォーラムで小林恭二氏の主宰していた「闇汁句会」と、それを引き継いだ小澤實氏の「風来坊句会」に参加されており、これを「秋」の若手に活用できないかと始めたのが「光塵句会」。その呼びかけに参加したことに始まる。そのころは、まだパソコンの通信手段が、一般の電話回線を使ってピーヒョロローッの時代。パソコンに取り込んだデータをプリントアウトしての選句、披講。最初は皆手こずりながらも、北海道から九州まで、顔を見たこともない俳友と句会を楽しむことが出来た。

2003年、アサヒネットがインターネット句会を開始、画面上で句を見られるようになり、参加者以外も見るだけなら見られるような句会となった。2011年、14年間、272回続いた「光塵句会」は発展的に解消、並行して「秋」の会員だけの参加による「椨の木句会」が始まった。これにより、佐怒賀主宰による、「秋」風の選評、指導が行われるようになり、月1~2回、20名程の会員で2017年まで続いた。

その年、アサヒネットより、ネット句会システムの年内での終了が通知され、寝耳に水で、会員たちは途方にくれた。ブログを立ち上げて、句会らしきものを作成する案もあったが、ネット上に投句をすれば既発表とされ、大会などに投句すると二重投句となることなど問題点も多く、二の足を踏んでいた。その年の年末、ある会員が「俳句の壺」というネット句会システムがあることを見つけてきた。ただ、システムの利用料が無料ということでかえって当初は「大丈夫かな」という意見も多かったが、管理人とメールでやり取りするうちに、管理人が優秀なプログラマーであり、奥様が俳人ということも知って、飛びつくように参加させていただいたのが、2018年1月である。

現在:「俳句の壺」で3句会に参加させていただいている。「俳人ホーム」は私の勤めていた広告代理店の俳句クラブが続いているもの。今は色々な分野の方が参加されていて、フランスのリヨンに留学している女性も参加。「心太句会」は以前の「光塵句会」の流れをくむもので、超結社での句会。「椨の木句会」は「秋」の会員だけの句会で、月一回、決められた日程で常時20名ほどの参加で句会を開いている。今年で四年目になるこの句会は月末に佐怒賀主宰からの選評がいただけ、別の場所に立ち上げたブログ上で、会員の一句一句まで丁寧に選評をしていただいている。主宰の選評を読むと、「秋」という結社の目指している方向性が会員にも良く解ってくる。

昨年、新型コロナが蔓延して、顔を合わしての句会が開けなくなったころ、主宰から zoom 句会の提案があり、昨年7月より月一回の「獏獏ズーム句会」が開始され、毎月12名から16名で句会を開いている。お1人は時差の壁を乗り越えて、未明のサンフランシスコからも参加されている。主宰や句友の顔を見ながらのズーム句会は臨場感に溢れ、毎回緊張しながらも楽しんでいる。

未来:俳句愛好家の年齢は高いほうなので、ネット上での句会が普及するにはまだ時間がかかると思う。また、ツールもPC、タブレット、スマホなど画面の大きさも違うので、各々の特徴を生かした方法で発展していくのだろう。zoom 句会は、コロナが生んだ産物で、これからも地域、方法を超えて普及していくと思われる。これが家庭のテレビと連動して大きな画面に映るともっと見やすくなると思う。

「俳句の壺」の句会システムも素晴らしいものがあり、これからも参加句会も増えていくことだろう。私たちの句会には英語圏、フランス語圏で活躍されている参加者もいる。サンフランシスコ在住の飛(フェイ)さんは、HSA(米国俳句協会)の元会長であり、「俳句の壺」の英語バージョンがあれば、彼女を中心に、アメリカでもネット句会が開けるようになるのではないだろうか。仏語も同様、ゆくゆくは色々な言語での「俳句の壺」が可能となれば、俳句のグローバル化に一役買うこととなるだろう。また、ズーム句会も、そこに翻訳機能が付けば、世界の方々とネット上でリアルタイムに句会を開くことができる。彼らの英語俳句の翻訳を見ながら、それを五七五に形を整えることも可能。また、自分達の俳句も、かっこいい英語に変換もしていただけるのではないだろうか。

最後に AI 俳句についてだが、これを私はあまり脅威とは思っていない。夢の中に出て来る人や映像はどこかで自分が一度は見た人や映像しか出てこないといわれる。AI 俳句も同様、どこかで見た句の組み合わせであり、どこかに既視感が漂うものだ。主宰の句に

空豆にファラオの眉の如きもの(佐怒賀正美)

があるが、そら豆の黒い爪からファラオを連想することは到底 AI にはできないことだと思う。「限りなく目につきにくいこういう生涯のすべてが、まだ記録されていないのよ」(ヴァージニア・ウルフ)。隠れた日常の新しい視点と発見。これからも、それを記録するような俳句を創っていきたいなと思っている。



満田三椒
1949年三重県伊勢生まれ。紀の川市在住。1989年秋入会、佐怒賀正美氏に師事。2014年第一句集『紀伊日和』上梓。秋同人。和歌山俳句作家協会事務局長。関西現代俳句協会理事。朝日新聞和歌山版俳句欄選者。
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