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 俳句の壺エッセイ
 第6回 記憶の海としてのデジタル
(2021年7月掲載)

 
益岡茱萸(玉藻)
 
Bという吟行句会では、昨年の2月を最後に吟行をやっていない。その代わりに定期的に俳句の壺を利用させていただいている。毎回面白いテーマを考えているので、句評欄はチャット状態となって盛り上がる。次回は、Zoomも併用する予定だが、久し振りの顔合わせなので、楽しみであるとともに、なんだか照れてしまいそうだ。

Kという句会は、居酒屋でお酒と食事を楽しみながらの句会なので、当然今は開催できない。もう一年以上「壺句会」である。美味しいお酒が恋しい時もあるが、九州から通っていたメンバーも含め、緊急事態宣言下でも全員が参加できることは、ネット句会の素晴らしさだと思う。投句期間に幅があるため、実句会ではしばしばあった欠席は、ほぼない。

また、Nという別の句会では、夏雲という投句システムを利用させていただいている。得点順や、作者別の集計ができたりするので、自分の不甲斐なさが可視化できて、とてもためになる。

俳句の壺も、夏雲も、本当に簡単に投句ができて有り難いが、もう一つ感心するのは、自動的に句会報ができることである。句会の幹事をやった方なら、短冊の読みにくい文字を解読し、間違いのないように会報にまとめることの大変さをご存知だろう。投句システムでは、メンバーの句評までもが、瞬時にまとめられているので、日を置いて読み返す楽しみもある。

そこで、このエッセイのお題のひとつ「こんなことができればいいのに」であるが、この優れた編集機能を利用して、作者別の作品集を創ったりはできないだろうか。ミニ句集、プレ句集のようなものである。そんなことを思ったのは、最近近しい句友を亡くしたからかもしれない。素晴らしい俳人であったので、まとめて作品を読みたかったと、つくづく思ったのである。

句集を出す事は、費用も手間もかかるので、簡単ではない。結社によっては、主宰に序文をいただくのが大変とも聞く。メールに添付して送れるようなミニ句集があれば、まずは気軽に作品を紹介し合えて、楽しいのではないだろうか。電子書籍のように、ページがめくれたらいいなとか、そんなミニ句集を集めたデジタル図書館があれば、他の会の人とも交流できるなとか、図々しくも妄想は膨らむばかりである。

デジタルタトゥーという、非常に嫌な言葉がある。逆にいい意味では、デジタルの海は、素晴らしい作品を、永遠に浮かべておく事ができる。昔のいい演奏や映像に出会うように、これから何十年も先に、無名の俳人の一句が、誰かを感動させるかもしれない。こんな俳句を作ってみたいと奮起させるかもしれない。

権威主義とは無縁であるからこそ、ネット句会は、人を惹き付ける。そしてそれは、結社を含む俳句界全体にとっても、とてもいい事だと思えるのである。



益岡茱萸
広告業界の句会「風の会」に誘われた事をきっかけに俳句を楽しむ生活に。「日本橋句会」「BMJ句会」「雪椿会」「東京玉藻」などの句会に参加。第一句集「汽水」で、自費出版文化賞。宝井其角俳句大賞。星野高士凖賞。玉藻同人。
http://www.fukumotoyumi.com/
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