俳句の壺エッセイ 第9回 マスクを外すころ (2021年10月掲載)
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後藤 章(自鳴鐘) | ||||||||||||||||||||||||||||||
秋風とともにコロナが収まる兆候を示していますが、そうなると俄かにインターネット句会はどうしようか、どうなるのだろうかと思う日が多くなってきました。ネット句会の多くはコロナによって集会が憚られた代替策として発展しました。それゆえにコロナが終息すれば使われなくなるのではと考えてしまいます。このことは全国の多くの句会運営責任者の皆様も同じで、悩むというよりは迷いをお持ちなのではないでしょうか。 そこで一句会運営者の立場として考えていることを書き連ねてみたいと思います。 まず常識的に考えると継続派と解散派に別れる予測が立ちます。句会構成員の違いで別れると思います。前回の執筆者大西朋さんが書いていたような、構成員が全世界的に散らばっていたり、国内でも地方に散らばっている場合は継続されるでしょう。一方従来の句会の延長として代替使用された句会は解散する可能性が大きいと思います。ここにインターネットの大きな利点と欠点が見えます。利点は山本健吉が言った意味とは少々ずれますが「時間性の抹殺」です。大西さんは時空を超える力といいました。それはまさしく絶対的利点です。経済合理性もあるので強いです。 では欠点は何か。それは感受性の制限だと思います。全方位の感受性がインターネットではまだ実現できていません。難しげに言ってますが「会話」がないということです。たかが会話と思うかもしれませんが、今AIの世界で盛んに研究されているのが会話できるAIです。いわばこれは皮膚感覚でのふれあいの欠如です。会話は良い感情も悪い感情も渦巻くカオスの状態ですが、その量が圧倒的に少ないのがインターネットでのコミュニケーションです。句会というのはそのカオスを楽しみ?苦しむ?世界であるからこの麻薬から抜け出せる人は少ないでしょう。ですからコロナが終息すればすぐに復活します。 さて句会を復活させた人々は本当にインターネット句会を手放すでしょうか? 突然ですがここで100年前のパンデミック・スペイン風邪当時のホトトギスの状況をちょっと覗いてみましょう。大正7年(1918年)2月24日付けで虚子は「ホトトギス」3月号雑詠欄の前にこう断り書きをしています。「今回は病気の為雑詠の選ほか出来ませんでした。~中略~但し病気は流行性感冒です。腸の方はもう普通の健康状態になりました」と。 年譜を見るとこのあと7月8日に芥川龍之介と久米正雄が虚子庵に来ています。そして二人ともこの後スペイン風邪にかかっている。発症まで間があるので直接の感染ではないと思いますが、大正7年11月2日、芥川龍之介発症。 胸中の凩(こがらし)咳となりにけり という句を残しています。この句を友人に知らせる手紙の中で「スペイン風邪で寝ています」と書いているのでここらあたりから「流行性感冒」から「スペイン風邪」と名称が変わっていったのかもしれません。久米の発症は大正8年2月でした。 さて虚子ですが多くの年譜を参照してみますと、驚くほど全国を回って句会をしています。当時、マスクや対人距離を取るなどの予防は新聞にも見られますが、緊急事態宣言のようなものは発令されておらず、旅行制限などもなかったようです。当時の通信環境は新聞、郵便、電報ぐらいでした、ラジオはまだでした。ですから今日のような感染者何人、死者何人など毎日知る状況ではなかったわけです。その切迫感の薄さは現代とは比較にならないでしょう。3月号の雑詠欄や地方句会欄を一通り見てみましたが、パンデミックに関するような句は一句も見当たりませんでした。 虚子の選は遅れたこともあったようですが「ホトトギス」には順調に投句の郵便が届き、「ホトトギス」は発行されて、虚子は全国の句会を回っていたという状況だったようです。「ホトトギス」を繙いているうちに面白い記事を発見しました。 同年の二月号の記事の中で、虚子は句会の人数が多すぎることによる弊害が出ていることを嘆きながら「私は特選なるものが大嫌いで…」と書いていました。つまり少人数での句会は批評しあったり研究することに意義があったが、人数が増えてそれもかなわなくなった。その代替として、有力者の特選という制度が生まれたことに面白くない思いがあったようです。 実に「量的変化は質的変化を生む」の典型のような話です。人気が出たのはいいけれど句会参加者が増えて、質的に変容してしまったことをご当人が嘆いているわけです。今まで虚子の句会は虚子選を聞いて「ハイ、お終い」と聞いていて、その潔さに感心してましたがそれは戦後のことなのかもしれません。この年、虚子は45歳でした。 閑話休題。 結論として私は句会再開派のインターネット句会は残ると思います。その理由の一つはホトトギスの投句がパンデミックでも減らなかったように、承認欲求は下がらないからです。感情のカオス抜きの冷徹な結果を示すインターネット句会の魅力は安価にそこをカバーしてくれます。加えて俳人は回遊魚が泳いでいなければ死んでしまうように、毎日句を作らねば死んでしまいます。その発表の場がすぐに使えるのも魅力だと思います。つまり熱心な俳人はパンデミック後にもっと強烈に成長するのだと思います。 既にインターネット句会はそうした恩恵をもたらすツールになっていると思います。これもインターネット句会が二年にわたって行われ、句会数が増えたことによる質的変化と言えるでしょう。さてこの予想は当たるでしょうか? まだ少し字数が余っているので、この原稿を書くために纏めたスペイン風邪とコロナの違いを下記に示しておきます。 百年前のスペイン風邪は日本では約2年で感染率が約50%近くになって自然免疫を獲得して終息しました。新型コロナと現時点で比較してみました。人口増の割には死者数が極端に少ないのはワクチンと医療技術等の発達のおかげでしょう。 数字で見れば現政府もよくやってる方かもしれません。
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後藤 章 1952年仙台市生まれ。さいたま市在住。1981年頃、自鳴鐘入会。現代俳句協会員。「阿部完市とAIの言語空間について」でH30年現代俳句協会評論賞受賞。 |
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